一人カフェ

犬わらし

犬わらし

昔、昔、あるところに・・・・。
と、おとぎ話は、はじまりますね
今から、お聞かせする話は、昔昔ではなく、現代の話、いや、ついこの間の話です。

だけど、きっと、この話を聞けば、大半の人が、
「そんなおとぎ話みたいなことあるわけない」と言うに違いありません。

たとえば、「つる女房」というおとぎ話があります。
「つる女房」は、嫁が欲しい欲しいと熱望していた、貧乏な若者のもとに、ある日、自宅に、色の白い美しい娘が訪ねてきて、
「私を、女房にしてください」と言ってくるのです。
しかし、その娘は、数日前に、けがをしているのを助けた、鶴だったというまことに都合の良い、むしのいい話です。
また、あまりにも有名な「桃太郎」あたりも、子供がほしい、ほしいと熱望する、熟年夫婦が見た、幻想だったのではなかったかと。人は、あることを一心に思い込むと幻想を思い抱き、そして、幻覚すらみてしまうのではないでしょうか。

この話は、つい2週間前に、友人夫婦に起こったおとぎ話のような、本当の話なのです。

友人の室生朝香(むろう あさか)には、子供がいませんでした。不妊治療にも励み、時間と金銭をかけていましたが、結婚して8年、いまだに懐妊のきざしはありません。
2週間前に、朝香宅に招かれたとき、彼女はいつものようにミルで挽いたコーヒー豆を淹れながら、ゆっくりと話し出したのです。
「私ね、不妊治療辞めたの」
「そうなんだ。」
と言ったきり、私は、なんと言葉をかけていいのかわからなくなりました。もし、妊娠だったら、治療辞めたではなく、できちゃったというでしょうし。

「ふふ、びっくりした? あんなに治療に執着していたくせに、って思ったでしょ?」
彼女が珈琲をお盆に乗せて、運んできました。私は、その運んできた、カップをじっと見つめていました、なんと、話しかけたらいいのか、実は、私も、少し前に不妊治療をあきらめたところでした、本来なら、一緒だね、と切なさ、安堵を分かち合うのでしょうが、何となく、彼女の今日の態度が、吹っ切れすぎというか。
私が不妊治療をやめた時、わざわざそんなことを、彼女に報告はしませんでした。
人にわざわざ報告することではありません。

「あ、そうだ、『いつもの』持ってきてくれたんだよね?」
いつものというのは、手作りレアチーズケーキのことです。
少し、はしゃいだ感じも、何となく、怖い。いつもの彼女じゃないようで。
朝香は、私が持ってきた紙袋に手をつけました。
「美味しいんだよね、これ」といいながら。
朝香は私の作るレアチーズケーキが好きです。作り方は申し訳ないほど簡単ですが。コツと言えば、絹ごし豆腐と水溶き片栗粉を入れるところでしょうか。

簡単レアチーズケーキの作り方はこちら

上にかけるフルーツシロップも手作りをしています。イチゴソースが朝香のお気に入りです。
「ねぇ、このチーズケーキ、あげてもいい?」

あげる?誰に?と思った瞬間、彼女の顔を見ました、今日、この部屋に入って初めて、彼女の顔を見たような気がしました。いつもと同じか、いつもより穏やかな、彼女の笑顔が私の視線を迎えてくれました。
「ふふふ」また、彼女は小さく笑いました、
「驚いているわね。まきちゃんにあげるのよ。人見知りでね、でも、佳菜江(かなえ)なら、大丈夫かな、連れてくる」
彼女が別の部屋から、白い子犬を抱いて連れてきました。
「へぇ、かわいいね」
なんだ、犬を飼うことにしたんだ、と少し安堵しました。

子犬は、テーブルの上に置いてある、チーズケーキに飛びつきます。チーズケーキが入ったグラスを前足で抑えていうか、両手、いや、両前足で、グラスを持って食べています。犬ってこういう感じで、ものを食べたかなぁって見つめていました。
口の周りに、クリームチーズがいっぱいついています。
その口元を、子犬はいたずらっぽく朝香に見せつけます。
「あらあら、お行儀悪いわね。やっぱりまきちゃんもこのチーズケーキが好きなのね」
彼女は、嬉しそうに目を細めて、ウエットティッシュで、口元を拭いてやります。まるで、3歳くらいの子供に接するかのように
「犬ってさ、自分で、なめるよね、口の周りとか。甘やかしすぎじゃない」
私は、笑いながら言うと、
「口の周りをなめたりしないよ、ちゃんとふいてあげないと、それに、犬じゃないの」
相変わらず、口調は穏やかだけど、顔には、はっきりと非難めいた様子が伺えました。あぁ、そうか、ペットは家族になるというから、犬なんて言っちゃいけなかった。
「ごめん、ごめん、なんだっけ?お名前」
「まきちゃん、佳菜江ってわすれっぽいんだから」
本気で、怒っているような気がしました。その白い犬も、私をじっと見つめています。本当に3歳くらいの子供って、こんな感じで人を見つめるなぁって、眺めていました。でも、なんていう種類の犬だろう、今流行りの犬種でもなさそうだし、小型犬だろうけど、
「これって、なんていう種類?ポメラニアンじゃないよね」
「だから、イヌじゃないの。種類なんかないよ、まきちゃんだから」
また、穏やかに言い放ちました。

彼女とは、小学校5年の時に、私の通っていた学校に転校してきたときからの付き合いです。都会の学校から転入してきた彼女に、私は当時から軽いあこがれのような気持ちがありました。

どこかミステリアスな、不可解な部分もあって、そこが彼女に惹かれたところであり、魅力でした。要するに私の自慢の友人だったのです。それは、今でも変わりません。でも、今日の朝香は、少し違うような。膝の上で、白い犬を転がしています、これ以上ないような恍惚感を体全体で醸し出しています。私は、いたたまれなくなり、急に立ち上がりました。
朝香と白い犬は、同時に私を見上げました。何となく、その面差しは、犬のものではないと思いました。朝香と同じ表情なのです。飼い犬は、飼い主に似るというけれど。そんな程度の問題じゃない、それは、そう、まるで親子。私は、そう思う瞬間、
「ごめん、ちょっと、部屋のエアコンをつけっぱなしだったような、いったん帰るね」と言って、友人の部屋を飛び出そうとしました。今まで、こんな帰り方をしたことのない部屋です。
朝香もびっくりして、私を引き留めました。

「待って、やっぱり驚かせたようね。今日は、大切な話があるの、それだけ聞いて」友人の声に涙がにじんでいます。

私は、はっと朝香の顔を見ました。泣いていました、多分、初めて見ました、いつも冷静な彼女がこんな姿をみせたことはなかったのです。
白い犬も、机に突っ伏しています。泣いているのでしょうか。
子供は、母親が泣くと、意味もなく泣き出します。
さっきからの違和感がわかりました、この犬?犬のような形をした生き物は、吠えません。静かに泣いているのです。

わたしは、やっとまきちゃんは、犬じゃないという彼女の言葉の意味がわかったのです。
「この子、どうしたの」私は、あえて子と言いました。
「拾ったの、四葉公園あるでしょ、子供の頃よく遊んだ」
このマンションから、歩いて5分ほどのところに児童公園です。
初めて朝香と話したのもあの公園でした。朝香は転校したばかりで、一人でブランコを漕いでいました。教室では目立っていて、一人でいることなどなかったので、すごく意外だったのを今でも覚えています。私から話しかけると、なんだかとても嬉しそうだったことも。

「あの公園は、楽しい思い出しかないところだったから、まきちゃんが寄ってきてくれた時、絶対、連れて帰らなきゃって、これは運命だとおもったの」
震えている子犬を撫でながら、朝香は嬉しそうに話しています。

「この子ね、夜になると、人間の子供になるのよ。8時になると、子供になって、だから一緒にお風呂に入るんだ。」
うっとり白い子犬を見つめながら朝香は続けました。
「時々ね、まきちゃんはベランダに出て月を見ているんだよ。少し悲しそうに。月から来たのかなって、主人と話しているの。こんなかわいい子は地球にはいないもんね。でも、うち11Fでしょ?危なくて。落ちやしないか心配でさ。なるべくベランダには出したくないんだけどね。」
わたし自身も、震えがとまらなくなりました。

そんなはずないだろう、普通は、そう考えますが、この犬と人間、いや二人といったほうがいいでしょう、を目の当たりにすると現実味が押し寄せてきて、恐怖を感じるのです。

私は、もう、後ろを振り返らず、友人宅を後にしました。

「ねえ、まきちゃんは、イヌじゃないの。佳菜江なら、わかってくれるでしょ」
背中の後ろで、あの信じられない言葉を、投げかけてきました。
「イヌじゃないの」

私は、もう耳に入らないかのように、逃げ出し、その後、走ってきたタクシーに飛び乗り自宅に帰りました。自宅に戻ってからも、携帯電話にメッセージと着信は、数えきれないほどありましたが、対応はしませんでした。とにかく、一人で考えたかったのです。あれほど、聡明な友人の変貌ぶりを、すぐには理解できなかったのです。ただ、携帯へのショートメッセージには、目を通しました。何十通ときている内容は、全て同じです。
理解してもらおうとは思わないが、私は本当に幸せだという内容でした。私は、この後、彼女との交渉を経ちました。本当に何と言葉をかければいいのかわからないのです。それとあの生き物を二度と見たくないと、なぜか思ってしまったのです。

その後、私にはいつもの生活が戻ってきました。毎日会社に行き、帰りには、夫婦二人分の総菜を買って帰る、判で押したような生活です。
駅からマンションまでの帰り道に「おたふく」という総菜屋があります。
そこの牛皿がとてもおいしくて、時々買って帰ります。
甘辛い出汁で煮込んでいて、ファーストフードの牛丼よりもずっとあっさり。
そんなにしつこくなく、食欲がなくても温かいご飯にかけてたべられる便利なおかずです。「ネギと紅しょうが」も味のアクセントになっています。

頭の片隅には、朝香のことがいつもあったのは事実です。あれから、朝香からの連絡もありません。

しかし、数か月後、私の携帯は、朝香の母親からの連絡を受け取っていました。留守電のメッセージの声は、細々と消え入るように、静かです。
ご主人とともに亡くなったとのことでした。
私は、携帯が表示した番号に、あわてて掛けなおしていたました。

親友の母親は、私の声を聞くと、声を詰まらせながら、娘の最期を説明しました。
夫婦で、自室の11Fベランダから飛び降りた。警察の見解では、無理心中ではないかと。娘は、なぜ死ななければならなかったのでしょうと悲痛な質問を私に投げかけます。その答えは死んでしまった二人にしかわからない。そしてもう夫婦は、この世にはいないのです。
答える代わりに、きいてみました。
「朝香さん、何か動物を飼っていませんでしたか?」
「動物?いや、朝香は、動物は苦手だったし、そんな動物の餌とか、トイレのようなものも、全く見当たりません。」
だけど、と親友の母は、少し言いよどみました

「実は、子供用の食器とか、下着、パジャマ、洋服が何点かあって、それも3歳くらいの女の子が着そうなものが。」そういうと、電話口で、泣きじゃくり始めました。
「寂しかったのかね、朝香は。子供もいないのに、子供用品を買い集めて。もうね、娘が不憫でしかたありません」
(あの家には、夜は子供がいたのですから。そんなものが必要なのですよ。)
私は、心の中で、つぶやきました。声にはできません。
この娘を亡くした母親に、こんなことを言って信じるはずがないし、親友の死を知った私の気がふれたと余計な心配をかけることもないのですから。

それに、私は、親友が必死に説明しようとするのを拒否して、あの部屋を後にしているのです。私は、何も見なかったということで、あの部屋の秘密を心にしまい込んで、友人夫婦の葬儀に参列することにしました。

最後のお別れでの、友人夫婦の死に顔は本当に、穏やかでした。一緒に参列した、私の主人は、若くして亡くなって、かわいそうだけど、充実した最後だったんじゃないかなと言いました。

私は、その言葉には何も答えずに、ただ主人とならんで、葬儀の帰り道を歩き続けました。

何となく、また、予感がしたのです。何と説明すればいいのか、恐怖と期待感とでもいうのでしょうか、全く異なった感情が、迫ってくるのです。

「あれ?」と主人が私の後方を見つめています。その顔は、少し笑いも含まれています。

私は、振り向かないでいました、振り向かなくても、わかるからです。主人が何を見つけて、何を連れてくるのか、
そうであってほしくない、でも、そうであってほしい。
私の足元に伸びる長いその陰には、主人だけでなく、何かを抱き上げているのが映っています。それは、3歳くらいの女の子です。おかっぱ頭のさぞかわいい女の子でしょう。

しかしながら、お断りしておきます、私の主人は、いくら幼い子どもといえども、急に抱き上げたりする、無作法な男ではありません、そうです、きっと、主人の目には、子供の姿ではないのでしょう。

「ねえ、佳菜江(かなえ)。見てみろよ、かわいいよ、迷子かな」
夫の腕には、あの白い犬が収まっています。そして、子犬の目は、こちらを嬉しそうに懐かしそうに見つめています。
「この犬、佳菜江の顔うれしそうに見るなぁ、これは、連れて帰って飼うしかないね、ママ」
嬉しそうな夫の顔を、ぼんやり眺めながら、私は、いつかの親友の言葉をつぶやいていました。

「まきちゃんはね、イヌじゃないよ」

私たち夫婦が住んでいるマンションの部屋は9階です。そしてペット不可。
この子を飼うなら、ペット可で、1階に引っ越す必要があるなと思いました。

ABOUT ME
うさ子
うさ子
美味しいものを作ること、食べることが大好きです。 転勤族の妻として人生の大半を過ごしてきました。 知らない土地での孤独感を、孤高に変えて生きてきました(大げさな) 簡単に美味しく、幸せになれるお料理やライフスタイルのレシピをご紹介していきます。